眼差され撮られる対象から、眼差し撮る主体へ 戦後沖縄の現実を写真を通じてさまざまな角度から暴き出すシリーズ。ヤマトを代表する写真家の仕事もくわえ、それぞれの表現を見直すことにより戦後沖縄をテーマとした一大ページェントを実現する。

山田實【故郷は戦場だった】
  • 比嘉康雄【情民】
  • 伊志嶺隆【光と影の島】
  • 大城弘明【地図にない村】
    • 喜屋武小学校へ通った道 福地 1972年
    • 祖母 米軍機の機銃弾で左目と鼻を抉られいつも大きな眼帯をしていた 福地 1972年
    • 平和の礎に刻まれた祖母トミ 摩文仁 2006年
    • 岩陰に眠る 束辺名 1972年
    • 阻止団に詰め寄られうなだれる警備員 国頭村 1970年
    • コザ騒動 ひっくり返されたMPカー コザ市 1970年
    • 毒ガスを輸送する米軍の車列 石川市 1971年
    • 天誅を叫ぶ右翼 那覇市 1971年
    • 復帰の日に高校生たちも独自の抗議デモ 那覇市 1972年
    • 久茂地川を漂う皇太子歓迎の小旗 那覇市 1975年
  • 石川真生【FENCE,OKINAWA】
  • 嘉納辰彦【旅するシマ】
  • 森口豁【さよならアメリカ】
  • 中平卓馬【沖縄・奄美・吐カ喇1974-1978】
  • 東松照明【camp,OKINAWA】
    • 喜屋武小学校へ通った道 福地 1972年
    • 祖母 米軍機の機銃弾で左目と鼻を抉られいつも大きな眼帯をしていた 福地 1972年
    • 平和の礎に刻まれた祖母トミ 摩文仁 2006年
    • 岩陰に眠る 束辺名 1972年
    • 阻止団に詰め寄られうなだれる警備員 国頭村 1970年
    • コザ騒動 ひっくり返されたMPカー コザ市 1970年
    • 毒ガスを輸送する米軍の車列 石川市 1971年
    • 天誅を叫ぶ右翼 那覇市 1971年
    • 復帰の日に高校生たちも独自の抗議デモ 那覇市 1972年
    • 久茂地川を漂う皇太子歓迎の小旗 那覇市 1975年

琉球烈像とは

 沖縄をめぐる写真の文体を根本から換えた一群の写真家がいた。一九六〇年代後半から七〇年代はじめにかけて、沖縄が身をよじりながら変わろうとしていた激動の時代に身を置きつつ、ただみずからの眼の力のみを恃みに時代がみせた一瞬のフォルムを捕捉していった。
 沖縄を内部から見続けた写真家と、沖縄の外と内を往還し稀有な光と風のイコンを探りあてた写真家たち。これらの眼の行為は、沖縄の不条理な現実から目をそらし、サロン的に自足していたそれまでの写真スタイルの批判的な乗り越えであっただけではなく、沖縄を一過的に訪れ、沖縄の地熱を外側からなぞるだけの報道写真では成し得なかった沖縄像を写し込んでいた。
 日本の戦後史の外部にあって、いくつもの世替わりと酷い戦争と長い占領を生かされた沖縄という土地の顕像や潜像や残像。レンズが瞬き落とした一瞬に定着された人や物の記憶。もはや取り返すことができない、それゆえの聖なる時のゆらめき。〈いま〉と〈ここ〉のうちに刻み込まれた実存の儚さ。そして時代が見せた鋭角と亜熱帯の風景や人々の暮らしの濃密な佇まいがあった。
 写真は、沖縄という群島のうえを通り過ぎた戦争と植民地主義と占領の傷口を残酷なまでに記録しているが、それでもそこにはレンズによって生きられた〈沖縄〉と〈おきなわ〉と〈オキナワ〉があった。複数の沖縄が交差するところに千の記憶が甦る。
 このシリーズは、沖縄をめぐる初の本格的な視覚の記録であり、〈写今〉と〈写魂〉のドキュメントである。沖縄へ注がれる眼差しのエキゾチシズムをはるかに凌駕し、日本の戦後写真を異化する鮮烈なイメージの力動である。まぎれもない、琉球烈像なのだ。

――仲里 効

未來社ニュース

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